放送作家や作詞家、音楽プロデューサーとして大成功を収め、天才と称される秋元康さん。
そんな大物音楽プロデューサーでも、売れなかったアイドルグループも存在しました!
簡単にご紹介していきます。
秋元康さんのプロフィール
- 誕生日:1956年5月2日
- 星座:おうし座
- 出身地:東京都目黒区
- 血液型:O型
プロデュースの経歴
秋元康さんは、高校時代からニッポン放送の制作部長や大橋巨泉事務所の放送作家の目にとまり、大橋巨泉事務所に所属していました。10代の頃から才能を見出されていたのですね。
その後、中央大学在学中に放送作家のアルバイトを始めます。アルバイトといえども、一般的なサラリーマンの収入よりも稼いでいたそうです。
その後、作詞家としてアニメ「飛んでも戦士ムテキング」の挿入歌から始まり、稲垣潤一の「ドラマティック・レイン」や長渕剛の「GOOD-BYE青春」を担当して有名になります。
1985年からは、女性アイドルグループ「おニャン子クラブ」の全楽曲の作詞を担当します。
おニャン子クラブは大ブレイクしましたが、1987年には番組が終了するに伴い解散します。
本格的な総合プロデュースは、2005年、AKB48から始まります!
それほど売れなかったアイドルグループ
①息っ子クラブ(1986年~1987年)
おニャン子クラブが全盛期だった1986年に「夕焼けニャンニャン」でオーディションを行い、息っ子クラブが結成されます。
おニャン子クラブの男性版7人グループで編成されます。
なんと、あの織田裕二さんもオーディションを通過していました!!ところが、俳優志向のため辞退しています。
息っ子クラブは、おニャン子クラブほどの人気は得られず約1年ほどで解散となりました。
②ねずみっ子クラブ(1992年~1993年)
日本テレビの「とんねるずの生でダラダラいかせて‼」で結成された小学生のアイドルグループ。
秋元康さんが、おニャン子クラブが猫ならそれに続くものはねずみだろうという発想から結成したグループです。
デビュー曲「ねずみ算がわかりません」オリコン43位
セカンドシングル「先生! 鈴木くんがエッチなんです!」オリコン99位
2曲とも作詞:秋元康、作曲:後藤次利のゴールデンコンビですが、売り上げが伸びずに1年ほどで解散しました。
③ラストアイドル(2017年12月20日~2022年5月31日)
秋元康が企画したオーディション番組から誕生。
2017年7月、秋元康が新しいアイドルグループのプロデュースを目的に究極のオーディション番組を企画、募集を開始した。従来のアイドルオーディションとは異なり、プロアマ経歴を問わない、デビュー曲、振り付け、衣装などの事前決定、初期メンバーは番組中のバトル(パフォーマンス対決)によりデビュー直前まで入れ替わる可能性があることを特徴としていた 引用元:Wikipedia
AKBグループや坂道シリーズほど人気が振るいませんが、売れていないかというとそうでもなく微妙な立ち位置です。
2022年5月、活動終了の理由としては「コロナ禍で思うような活動をすることができない」ためとされています。
④ザ・コインロッカーズ(2018年~2021年)
出典:https://prtimes.jp/main/html/rd/p/000001145.000002747.html
バンド名は「コインロッカーには、大切なものを預けたり、取り出したり、そして着替えたり、何かもうひとつの自分になれるキッカケになるもの── きっとそこには、彼女たちの夢が詰まっているのではないか」という意味を込め秋元が命名 引用元:Wikipedia
メンバーが一つの楽曲の選抜を競い合うのでなく、用意された楽曲に合わせてメンバーが選ばれるという異例のシステムで成り立っていました。
最高39人のメンバーが楽曲ごとに選抜されていました。
ところが、結成から1年、思うようにライブの集客も叶わずに、38人いたメンバーの25人がリストラにあってしまいます。
運営側のワーナーミュージック・ジャパンは、リニューアルと称して大量リストラし、メンバーを13人絞りました。このリストラ騒動に対して、SNSでは大炎上。
ちょうど結成から3周年で活動終了となりました。
まとめ
天才といわれる秋元康さんは、やることなすこと全て成功しているというイメージでしたが、やはりそればかりではないというところが人間らしいですよね。
今後のプロデュースも目が離せません!
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